2024年、甲辰年。
明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
年明けはショッキングな出来事がありました。
朝は綺麗に晴れていて、「ああ良かった、いい元旦だな」と思っていました。
まさか日暮前に、あんなに大きな地震が発生するなんて思ってもみませんでした。
「元旦って神様に守られているんじゃないの・・・?」
っていうのが、その時に出た私の率直な言葉でした。
とにかく被災地の方々に、1日でも早く、あたたかい日常が戻ってきますように。
そして直接被害がなくとも、被災されている方々がいるということ自体、ものすごく悲しいことです。
どこかで誰かがお腹を減らしていたり、寒い思いをしていたり、大切な人を亡くしていたり。
それは毎日世界のどこかで起こっている出来事といえばそうなんですが、
災害という出来事を通して、そのことが浮き彫りになると、
それだけで、まるで自分のことのように身を裂かれるような気持ちになる人って、たくさんいると思うんです。
じっとテレビの情報を拾って、痛みに共感して、
我が事のように「無事に助かりますように」「少しでも状況が良くなりますように」と祈る日々は
直接被害があった方とは(そもそもの次元が違いすぎて)
比べることはできませんが
それはそれで精神面でのサバイバルであると思います。
「あんなに苦しい思いをしている人がいるのに、私たちが安穏と日常を過ごしていいのかな。」
そんな風に、なんとなく「自粛」をして自分の幸せを禁じるような気持ちになることも。
これは根本的には愛であると私は思います。
家族で誰かが1人病気になってしまった時に、その病気の方を尊重するあまり、
健康な人も一緒になって活動を極端に制限してしまうと
再び良い状態に戻るには、時間がかかるのでは、とも思います。
災害やその出来事自体をネタにして、当事者の気持ちを介在させないようなお祭り騒ぎをしよということではないです。
被災地の方のことを思って自粛することも愛ですし、
逆に「じゃあ私たちは元気にやろう!」と活動的に頑張ることも愛だと思います。
慈悲の慈しみは、いち早く苦しみをとってあげることで、
悲しみは同じように悲しんであげることだそうです。
同じように悲しんでもらえることで、苦しさって少し楽になったりしますよね。
だけど、それだけじゃ救われない。
苦しみの原因自体を取り除いてもらうと、
またさらに救われます。
正解がない物事に対しては、理解しようとし続ける姿勢、
その時の最適解を探し続ける姿勢が大切だと思います。
私が正解を持っているわけではないですし、
誰かが正解を持っているわけではないと思います。
「正解はこれです」と明らかなものを提示されると、楽になります。
曖昧な状態で探し続けたり、適当なところで理解をした気になって落ち着けないって、めちゃくちゃエネルギー使います。
辛い時には、「今のところ自分にとっての最適解はこれかな」と答えを見つける事も必要で、それも愛です。
私にとっての今のところの最適解は、できる事をしたい。
そしていつも通りの日常を、「14.節制」のカードのように、バランス感覚を駆使して力強く歩んでいきたい。
これから数年間、色んなことが起こりそうですが
この世は夢のようなバーチャルリアリティ。
与えれば与えるほど豊かになる世界。
この時代を選んで生まれてきた私たちの魂。
意味のないことなんて1つもありません。
まずは想いから変えていきましょう。
一念三千世界、ほんのちょっとの一念が三千もの世界に影響を及ぼします。
色々と言ってますけど私はただの未熟者です。
一緒に勉強させてください。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。